ご挨拶

 

「竹内流宗家公式ホームページ」へご訪問頂きありがとうございます。「竹内流」は、天文元年(1532)美作国垪和郷一之瀬城主「竹内中務大輔久盛」によって創始されました。当家の「系書古語伝」には次のように記されています。

 

 久盛、愛宕神を拝し垪和郷三之宮に参籠す。時に天文元年老翁現れ、一術を示さんという。久盛二尺四寸の木刀で撃つも、翁、踵を回さずして膝下に敷く。再戦するも無刀の翁に応ずる事難しく、神業也。翁曰く「凡そ敵に向かいて速やかに殺生降伏せしむ。之を兵法と言う」。また、久盛の持ちたる木刀を二つに折り、長きは益なしと小刀となし、「之を帯せば小具足也」と。今に小刀を小具足という事、これに始まる。また、菖を取り武者搦を授けて迅縄と号す。かくして、捕手五ケ条、腰廻小具足を神伝す。

 

久盛の子久勝は元和六年、後水尾天皇より、その子久吉は寛文三年、霊元天皇より「日下捕手開山」の御綸旨を拝受し、永代「藤一郎」通名の許しを受け、三代で流儀を完成しました。以来、四百数十年の間、三十数流の支流に発展し、多数の門弟を育て「日本柔術の源流」と呼ばれ現在に至っています。宗家の稽古場には代々「日下捕手開山竹内流」の看板を掲げ「藤一郎」を、そして相伝家は、「藤十郎」を名乗り、現在もそれぞれの師範指導のもと「竹内流」の保存・指導・普及にあたっています。また、稽古場一帯は「竹内流発祥の地」として岡山県指定史跡に登録されています。